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サン・ドニ バジリカ大聖堂① [フランス]

チュニジアから空路パリへ入った翌日、朝からあいにくの曇り空[曇り]でしたが、パリ郊外のサン・ドニへ行きました。

サン・ドニ市は、パリの北方約4kmにあり、1998年サッカー[サッカー]のワールドカップ・フランス大会でフランスが優勝した舞台となった"スタッド・ド・フランス"Stade de France=フランス・スタジアム:シャルル・ド・ゴール空港から空港バスでパリ入りする時に、左手に見えます)があることでも知られているところです。そして、サン・ドニ市にあるもう一つの見どころ、"サン・ドニ バジリカ大聖堂"を訪れました。

ホテルのあるパリ・モンパルナスからは、メトロ13番線"St-Denis Université(サン・ドニ ユニヴェルシテ)"行で終点の1つ手前の"Basilique de St-Denis(バジリク ド サン・ドニ)"駅下車、徒歩2~3分です。(注意[ひらめき]:メトロ13番線は行き先が異なるので、必ず乗車前に行き先名の確認が必要です。)

サン・ドニ バジリカ大聖堂の由来は、3世紀半ば頃、フランスの守護聖人"サン・ドニ"がパリ・モンマルトルで斬首され、自分の首を持ってパリ郊外のこの地まで歩き絶命した...という有名な逸話があり、その地に教会堂が建てられたのが始まりと言われています。

その後、7世紀にベネディクト派の修道院が設立され、12世紀には大修道院長のシュジェによりゴシック建築の傑作へと変え、バラ窓やリブボールトなどを取り入れて建物内部が色彩あふれる光で満たされました。13世紀のサン・ルイ治下の工事により現在の外観となりましたが、多くの戦争やフランス革命により修道院は衰退します。19世紀にヴィオレ・ル・デュクによって修復され、1966年に大聖堂となりました。

また、この大聖堂はフランス王家の墓所となっていて、7世紀から18世紀までのほぼ全ての歴代フランス王と王妃が埋葬されています。(wikipediaおよびサン・ドニ バジリカ大聖堂の無料パンフ<日本語版>より引用)。

サン・ドニ バジリカ大聖堂の西側ファサード↓

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正面から塔を見上げて...

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北西側からの大聖堂の全景...

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北東側より... 東(内陣外)側にフライング・バットレスが見られます。

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北側のバラ窓

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ファサードの扉

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建物内部へ...

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           内陣

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王家の横臥像...          

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★アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシス↓

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★ルイ12世とアンヌ・ド・ブルターニュ↓

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★ルイ16世とマリー・アントワネットの祈りの像↓

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その他の美しい彫刻...

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大聖堂内のステンドグラスと地下納骨室については、「サン・ドニ バジリカ大聖堂②」へ続きます...。

こちら(①)のコメント欄は閉じていますので、②の方へまとめてお願いします。→続編「サン・ドニ バジリカ大聖堂②」 へ  


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